ストーリー

【管理栄養士になる!】と進路を決めるのに、与えてくれた影響を書いてみます。ついこの前の決意だった気がしますが、気づけば30年…いやもっと経過しているのかも(*ノωノ)
これから管理栄養士を目指す人の参考にはあまりならないかな…。

【まず両親】母はまだ小学校低学年だったころに、どのような組み合わせで毎食食べればいいか、教えてくれました。
そんなこと考えて、ごはん用意してくれているんだ〜とびっくりしました。父は女性でもこれからの社会は手に職を持っていた方がいい、英語は話せるようになった方がいい、と職業人として生きることを教えてくれました。

【高校の家庭科の先生】果汁10%と100%のジュースの飲み比べをさせてくれたり、食糧が無い国の子どもたちの話を聞かせてくれたり、『食』と『命』というものについてさまざまな刺激を与えてくれましたし、先生の問い対するわたしの応えに多いに理解してくれました。わたしは先生の返答にやっぱり栄養士になるんだわという気持ちを強固にしました。

【学校の給食】おいしかったり、おいしくなかったり、変な組み合わせだったり、好きなものだったり、「わたしならこうする」といつも思っていました。パンが特に嫌いでした。小学校の栄養士の先生は美人だったな~。

【パンが嫌い】で思い出しましたが、献立の立て方を教えてくれた母の朝ごはんは食パンだけ。(。´・ω・)? これが大嫌い。ジャムを塗ってもおいしくならない。8枚切りのパンが畳1畳にも感じられるほど大きくて、うんと時間をかけていやいや食べていたのを思い出しました。少食な子どもだったのです。いつかステキな朝ごはんを食べられる自分を夢見ていました。4年生になり、部活が始まったら早起きの父が淹れてくれるココアにとっても癒されました♡

【お弁当作り】我が家では中学生になったら、自分のお弁当は自分で用意するルールがありました。平日は給食があるので部活のある土日だけですが、これが楽しかった。特に高校入学後は毎日なので腕が上がりました。社会人の姉が「お弁当のおかずレシピ」を買ってくれたので姉の分も作り、お小遣いをもらうというアルバイトしていました。もちろん、彼の分も作っていましたよ~。

【中学時代の親友】一緒に勉強しながら、将来手に職をもって、どのように生きるかを語り合う渋い親友がいました。彼女とは高校も一緒、クラスも一緒で刺激を与えあいました。高校では理系のクラスに進み彼女は看護師になりました。高校では彼女の他にも2人の親友を得ましたが、そのうちの1人も看護師、もう1人は臨床検査技師になりました。今は距離のある友人たちですが、女子特有の相手に合わせる雰囲気ではなく、自分の意見をちゃんと伝え合えるステキな仲間でした。刺激の与えあいは青春ドラマみたいでしたね。

【アルバイト】中学を卒業してすぐにアルバイトを始めました。コンビニのお弁当やおにぎりを作る工場です。あまりの熱心さに家族には「目指せ工場長!」と笑っていました。一生懸命に働いて、お金がいただける喜びがここでしっかりと根付きました。この後も食に関わる仕事ばかりたくさんしました。そしてコンビニで売られる食品の裏側、出来立て弁当屋でもアルバイトし、総菜作りの裏側などを経験しました。

【食への目覚め】食が細かったわたしは、『食いしん坊』だったと大人になって気づきました。だってアルバイトして自分の得たお金で食べたいものを食べるときの勢いと言ったらすごい!食べたいものがないから、食パンの朝ごはんや学校給食に時間がかかっていたのです。その頃には、日々のお弁当作りを通して食べたいものは作る習慣がすっかりとできていたので、いやいや食べるものは減りました。

【揺らがない進路決め】進路はだいたい中学のときから決まっていたので、あとからあとからどんどん「やっぱり栄養士だわ」という出来事ばかりで、全く悩まず進路を決めました。それなのに、短大に入ったら……

【同級生にがっかり】しました。だって栄養士コースを選んで入学する人が毎年100人に対して、栄養士として就職する人が1~2人。そんな仲間たちと一緒に学ぶのです。がっかりとか言うわりにわたしも大して勉強を頑張らない。(勉強は嫌い)そのくせ人前で発表とかになると方便で乗り切れちゃうやつでした。あんまり情熱的に栄養士として就職することについて語るわたしに影響を受けたか、私が卒業する年は10人近くが栄養士として就職しました。わたしの仲間6人のうち私を含め4人は栄養士として就職したのです。厳しくて怖かった恩師には「あなたのおかげで初めて栄養士就職が多い」と感謝されたくらいなのです。
そうして無事に埼玉県三郷市の永井クリニック(現:永井マザーズホスピタル)に就職して今に至ります。